親が死んでからわかってきたこと~毒親だった?

エッセイ

両親が1年ちょっとの間に立て続けに亡くなりました。

平均寿命よりは短かったけれど、若くして亡くなったわけではありません。

親と離れて暮らすようになって何十年も経っているので、悲しみがあるけど心細さとかは感じませんでした。

ただ、親が死んてから時間が経ってくると「親に聞いておけばよかった」と思うことが少しずつわいてきました。

親が生きている間は、自分の親が毒親だなんて考えたこともなかったのだが、今思い返してみると、もしかしたら毒親だったのかも?と考えてしまうようなことがあるのです。

親が生きている間には、そういうことを考えることができなかったのですが、死んでしまった今はゆっくりと冷静に考えることができるので、ひとつひとつ思い返しながら自分の心の中にあることを解かしていきたいと思います。

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何もさせない母親

母はずっと専業主婦でした。

働きたくても働かせてもらえなかったのか、それとも働く余裕がなかったのか。

子供の目から見ていると、働く余裕がなかったのだと思います。

なぜなら、家族の世話をすべて一人で担っていたから。

義理の両親のこと、年子の姉妹、そして夫の世話をすべて一人でやっていました。

夕飯の支度をするときに、手伝ったりすることは何度もありましたが、それもお手伝いしたがる子供にやらせないわけにはいかないのでやらせてあげてた感じです(今思い出すと)

ほんとはすべて自分でやりたい人だったんだろうな・・。

家族の世話を焼くことが生きがいというか、自分の存在価値を示すというか、そういうことだったのではないかと思うのです。

仕事をする余裕がないのは当たり前で、子供たちも自分のことは自分でやるというような育て方はされなかったので、ごく自然にすべてを母親にしてもらうことを受け入れていました。

そういう母親の姿を見て育った私は、今もワンオペで家の中のことすべてをしています。

フルタイムで働いていた時ですら、家事のすべてを自分ひとりですることを負担に感じながらも、それをパートナーに分担することをためらってしまうのです。

これは幼少期から見てきた家庭の中の状況に影響されているのでは・・と思うようになりました。

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稼げない女は惨め

専業主婦を極めたような人だった母ですが、父とケンカするとよく娘の私にこう言っていたのです。

「働けない女、稼げない女はとことん惨めだ。女も自分ひとりで生きられるくらい稼がないとダメ」と。

自分の生き方を子供がどう見ているのか考えたことはあるのか?と思うような言葉です。

亡き母
亡き母

あら、わたしそんなこと言ったかな
記憶にないわ~

たぶん、母はあの世でこんな感じですっとぼけていると思いますが、子供ごころに混乱したことをよく覚えているのです。

専業主婦として家族の世話をするのが生きがいのように見えているけれど、自分がその立場を失った時に生きる術がないことがとても心細かったのだろうと思うのです。

だから「稼げない女は惨め」なんてことを口走ったりしたのでしょうね。

私のとっては専業主婦の鑑のような母親から、それが惨めな生き方だというようなことを聞かされて、いったいどっちなんだ!!!とわからなくなってしまい、未だに迷走しているような気がします。

毒親とは

亡くなった自分の親を思い出して

わたし
わたし

毒親だったのかも?

なんて考えるのはとても親不孝なのかも知れませんが、毒親と言っても色々です。

現にいま、私は母親の記憶の呪縛からなのか、家事の一切を自分だけでやっています。

体調が悪くて、熱があろうともパートナーに「お願い」することはできないのです。

そして私がつらそうな様子で掃除したり動き回っていても「やろうか?」という言葉を発することのないパートナーに育ててしまったのです・・。

親のせいにしてはいけないのはわかっているけれど、影響は少なからずあるのではないかと思ってしまうのですよね。

でも、母親を憎んだりはしていませんので、念のため。

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