親が死んでからわかってきたこと~子どもが嫌いだった?

雑記

自分の親との関係に悩んでいる人は多いですが、親が生きている間に問題を解決できないまま後悔している人の話を聞くこともあります。

わたしの場合は、親子関係がものすごく悪かったわけではないのです。

しかしそれは、大人になってからの親子関係が薄かったので、表に問題が出てこなかっただけでした。

本音を言えば親も子も言いたいことは山ほどあったはずなのに、その本音をぶつけ合うことなく両親は逝ってしまいました。

今、両親が亡くなってから色んな事を考えて思うのは、親は子どもを愛するのが当たり前と考えるのは子の傲慢ではないかと・・。

もちろん、幼い子どもの頃は親からの愛情を本能で求めるものですから、それは傲慢でもわがままでもありません。

しかし、成長して思春期を超えて大人になっても、親に対して「愛してくれない」と求め続けるのは、親からすればどうだったのだろうかと考えるようになったのです。

もしかしたら、うちの両親は子どものこと(わたしのこと)をキライだったのではないかと。

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望まれていなかった

自分が親から嫌われていたと感じるというよりも、親(とくに父親)はわたしが生まれてくることを望んでいなかったのではないかと幼い頃から感じてきました。

その理由は、一つ年上の姉に対する父親の態度とわたしへの態度が明らかに差があったからです。

たとえば、姉は幼い頃から体が弱くて母親は姉の育児に手がかかっていたそうです。

年子で生まれたわたしは体が丈夫で手のかからない子だったので、育児もラクだったと聞きました。

そのことを父親は「お姉ちゃんと違って放っておいても大きくなった」と言いました。

亡き父
亡き父

そんなこと言ったかな・・

悪い意味で言ったわけではないかも知れませんが、幼い頃にそれを聞いたわたしの心には、姉のほうが大切に育てられたんだ・・という気持ちが残りました。

やはり最初の子どもは特別なのかも知れませんね。

それを感じながら成長したのに、それを親に確かめることはありませんでした。

今となってはたしかめようもありませんが、同じように愛せなかったとしてもそれは仕方ないことなのかも知れないと少しずつ自分を納得させるようにしています。

愛情を平等には分けられない

子どもは親に対して求めるものが大きすぎる傾向があるのかも知れません。

しかし親も人間なので、完璧ではありませんから、子どもを愛する気持ちにも差が出てしまうのは人間として自然なことなのかも・・と思えるようになったのは、親が亡くなってからしばらくしてからです。

姉とわたしは同じ人間ではないので、愛情も同じようには分けられない。

そうだったんだなと納得できたのは、自分と同年齢で双子の子どもを育ててきた2人の女性と話をする機会を得てからです。

双子でも性格は全然違うし、同じように愛情を注いで育てているつもりでも、愛情のバランスに偏りが出ることは否めなかったという本音を話してくれました。

双子でもそうなんだから、年子で生まれた姉妹に対して同じように愛情を注げというのは酷な話なんだ・・と。

それがわからないように努力はしていても、子どもには伝わってしまうわよ!

うちの親(とくに父親)の場合は、子どもに愛情の偏りがあることをわからないようしようと努力していたとは思えないので「わたしは親に嫌われていた」という捻くれた気持ちを抱えてしまったのです。

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まとめ

子どもが嫌いだったのか、わたしは愛されていなかったのか。

本音で語る機会を作れなかったのは悔いも残りますが、年老いた親といい歳した中年がそんな話をしても望むような結果にはならなかったと思うので、今はとくに本音でぶつかり合わなかったことに対して強い後悔はありません。

ですが、今も親との関係を改善したい気持ちがあるのに言い出せないのであれば、思い切って話してみてもいいのではないでしょうか。

自分の期待通りの結果にならないことも覚悟しておけば「話さなければよかった」ということにはならないと思いますよ。

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