たとえば、恋人と別れて悲しんでいる友達をなぐさめるときなどに「あなたはひとりじゃないよ」という言葉を使っている人は多いのではないでしょうか。
恋人と別れたときに強く感じるのは、いつもとなりにいた人がいなくなる怖さでしょう。
休日に一人で過ごす寂しさが、胸を締め付けるものです。
そんなときに友達から「あなたはひとりじゃないよ」と言われると、すごく嬉しいしありがたいでしょう。
ですが、このはげましの言葉によって傷つく人がいます。
もちろん悪気があるわけじゃないのですが、意図しないうちに傷つけてしまうのは困りますね。
いったいどういうことなのか、一緒に考えてみましょう。
「あなたはひとりじゃないよ」の効果
「あなたはひとりじゃないよ」という言葉を言われると、その人はとても安心できます。
この世で自分のことを気にかけてくれる人なんて、誰もいないのではないか・・と思ってしまうほどの孤独感に苦しんでいるときには、この言葉を言ってくれた人が神様のように見えてしまうかも知れません。
ほんとにその人を心配して、なぐさめたい気持ちが強くて言ったとしても、言われた側の受け止め方とズレが生じてしまうと、人間関係にひびが入ってしまうことがあるのです。
励ますつもりが逆に傷つけてしまうのはどのような理由なのか、2つのケースで考えてみましょう。
負担を分け合う覚悟がない
「あなたはひとりじゃないよ」という言葉は、一人で何でも抱え込んで苦しんでいる人の心を軽くする効果があります。
たとえば、仕事はチームで分担すれば早く終わるはずなのに、誰にも頼れずに自分だけで抱え込んでいる同僚に対して
あなたはひとりじゃないのだから、
人に頼ることも必要だと思うよ
そう言われた同僚は、とても嬉しいでしょう。
ですが、簡単に人を頼れない性格だからこそ、抱え込んでしまうのです。
「あなたはひとりじゃないのよ」と言うのは簡単ですが、それからのフォローがなければ結局その人は誰にも頼れないままになってしまう可能性大です。
そういう声かけをしたのであれば、その後も気配りをする覚悟も必要なのです。
そんなことまでしなくても・・・と思うかも知れませんが、言いっ放しで終わってしまえば、「あんな調子の良いこと言っても、結局何も助けてくれないんだ」と思われてしまうかも知れないのです。
何も言わなければそんな風に思われることもなかったのに、良かれと思って声をかけたのに逆効果になってしまうなんて困りますよね。
ひとりで抱え込んでしまうタイプの人は、そもそもが心を許せる友達も少ないので、「ひとりじゃないよ」という言葉が深く心に沁みるのでしょう。
その後も気配りをして、その人の負担を分け合うつもりがないのなら、安易に言わない方が良いのではないでしょうか。
依存させてしまうかも
女同士の人間関係によくあるパターンです。
たとえば、失恋をした友達を励ますために
大丈夫よ
ひとりじゃないよ
私がいるじゃない
このようななぐさめの言葉は、恋人を失ってポッカリと空いた心に沁みるでしょう。
失恋に限らず、心に深い傷を負っているような状態の友人を何とか励ましたいと思えば、「あなたはひとりじゃないよ」という言葉で支えてあげたくなるのは自然な気持ちです。
しかし、その時にあまり深く心の中に入り込むような言い方をしてしまうと、依存心を生んでしまうことがあります。
いつでも一緒にいられるわけじゃないし、それぞれの生活があります。
しかし依存されてしまうと、自分のことを後回しにされたりすると「あのとき言ったことは嘘だったんだ」とまで思われてしまうかも知れないのです。
あの言葉を信じたのに、裏切られた・・なんて傷つかれたら大変です。
他の友達と約束したりすると、嫉妬するような態度を見せられたりすることも考えられるのです。
深く傷ついているときには、励ましの言葉にすがりたくなるのではないでしょうか。
自分の立ち位置を曖昧にしない
「あなたはひとりじゃないよ」という言葉に救われた経験のある人も多いでしょう。
だからこそ、悪気なんでまったくないし、良かれと思って励ました言葉なのに、それが逆に傷つけることになるなんてショックですよね。
だからと言って、苦しんでいる人や悲しんでいる人がいるのに見て見ぬふりするのも心が痛むでしょう。
「あなたはひとりじゃない」という励まし、なぐさめの言葉を使うときには、自分の立ち位置をハッキリさせることが大切です。
「ひとりじゃない」イコール「私がいるでしょ」と思わせるようなニュアンスで伝えてしまうと誤解を生むのです。
周りを見渡せば、手を差し伸べてくれる人はいるという意味を伝えれば、裏切りや嫉妬というような新たな心の傷や苦しみを生むことはなくなるはずですよ。
まとめ
今回は、自分自身の経験も含めて考えてみました。
思い返してみれば、勝手に傷ついたこともあるし、安易に「ひとりじゃないよ」と言っていたかもしれません。
言葉の重みを考えなければいけないな・・と改めて思うのです。