有名人の不倫を許せない理由

雑記

芸能人やスポーツ選手など、有名人の不倫スキャンダルはワイドショーの人気ネタです。

世の中の人たちは有名人の不倫スキャンダルが大好きなのかも知れません。

しかし、リアルに不倫している一般人は有名人に負けていないのではないかと思うほど、私の周りにも不倫経験者が山ほどいます。

それなのになぜか有名人の不倫に対して一般人は不寛容です。

時間が経っても許されないケースもあります(よほどひどい裏切り行為などがあると仕方ない)

テレビ復帰ができないまま、忘れ去られていく人もいますね。

なぜ人は有名人の不倫には厳しく、いつまでも許せないのでしょう。

有名人の不倫が「許せない」と感じられる理由には、いくつかの心理的・社会的要因が重なっているように思います。

🌪️ 1. 裏切りへの共感と「信頼の崩壊」

多くの人は、結婚=誠実・信頼という価値観を前提に生きています。
有名人の不倫を見ると、「自分だったらどう感じるか」を想像し、裏切られた配偶者の立場に感情移入します。
この「共感的怒り」が、「許せない」という感情に変わります。


🧩 2. 「理想像を壊された」喪失感

芸能人や著名人は、ある意味「公の人物」であり、ファンにとっては理想や夢の投影です。
そんな存在が不倫をすると、

「信じていた人に裏切られた」
「清潔で誠実だと思っていたのに」
という喪失感が生まれ、怒りや嫌悪に転化します。


🔍 3. 「特権的立場への嫉妬と反感」

有名人は成功・人気・お金・人脈などを持っています。
そこにさらに「不倫」という“道徳に反する行為”までしていると、

「恵まれているのに自制もできないのか」
と、社会的な不公平感を刺激します。
これは「羨望」と「道徳的憤り」が混ざった感情です。


📺 4. メディアによる“道徳劇化”

ワイドショーやSNSは、不倫を「悪と罰」のドラマとして報じます。
視聴者は「正義の側」に立ち、

「悪いことをした人を叩く」
という行為を通じて、自分の道徳的優位を確認する心理が働きます。
つまり「許せない!」という感情が、社会的に共有されやすくなる構造があります。


💔 5. 「家庭」や「誠実さ」への社会的期待

特に日本では、「家庭を大切にする」「誠実である」ことが美徳とされています。
有名人はその価値観の模範であることを求められるため、
その規範を破ると、一般人よりも強く非難されがちです。

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「他人の不倫」には怒るのに、「身近な人の不倫」には沈黙するのか

① 安全な「怒りの対象」だから

有名人は自分と直接関係がありません。
つまり、怒っても人間関係が壊れない安全な相手です。
だからこそ、

「ひどい!」「許せない!」
と堂々と批判できます。

一方で、身近な人(友人・親族・同僚)の場合、怒ることで関係が悪化するリスクがあります。
「距離が近い相手」ほど、沈黙する方が人間関係を守れるため、あえて黙る選択をしやすいのです。


② 道徳ではなく“距離”で反応している

人は「道徳的な一貫性」で動いているように見えて、実はそうではありません。
心理学的には、人の判断は距離によって変化します。

  • 遠い存在(芸能人) → 抽象的に「正しい・悪い」で判断
  • 近い存在(家族・友人) → 感情・関係性・事情を考慮して判断

つまり、身近な人には「その人にも事情があるかも」と思いやすく、
他人には「正しさ」だけで判断しやすいのです。


③ “自分の立場”を守るための沈黙

身近な人の不倫を批判すると、次のようなリスクを感じます。

  • 自分が巻き込まれる
  • 人間関係のバランスが崩れる
  • 噂の発端と思われる

このため、

「関わらないほうがいい」
「見て見ぬふりが一番平和」
と考え、自己防衛として沈黙するのです。


④ メディアが「怒る理由」を作ってくれる

有名人の場合、ニュースやSNSが「誰が悪いか」「どんな被害が出たか」を明確に示してくれます。
つまり、「怒る筋道」が与えられているのです。

一方、身近な人の場合は情報があいまいで、誰がどこまで悪いのか判断が難しい。
結果として、「よくわからないから黙る」選択を取りやすくなります。


⑤ “自分も完璧ではない”という抑制

身近な人の不倫を見ると、「自分もいつか同じような弱さを見せるかも」と思うことがあります。
そのため、道徳的に断罪することへのためらいが生まれるのです。
しかし有名人にはその遠さゆえに、こうした「自分との重なり」が感じにくく、容赦なく批判できるのです。

ここまでのまとめ

対象感情の動き主な理由
有名人の不倫強く怒る安全に怒れる・理想の裏切り・メディアの影響
身近な人の不倫沈黙・距離を取る人間関係維持・事情への理解・自己防衛

つまり、人は「道徳的に一貫している」わけではなく、
社会的距離・感情的安全・人間関係のリスクによって、怒る/黙るを切り替えているのです。

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不倫スキャンダルを「叩くことで得られる心理的快感」

① 「正義の側に立てる安心感」

SNSで不倫を非難することは、
「悪を責める=自分は正しい側にいる」という安心感を得る行為です。

これは心理学で言う 「道徳的優越感(moral superiority)」 にあたります。
自分の日常に不満があっても、

「あの人より私は正しい」
と感じることで、自己肯定感を一時的に回復できるのです。


② 「怒りの共有」が生む一体感

SNS上では、他人の怒りに「いいね」「共感」「リポスト」で参加できます。
これにより、怒りが社会的な絆のように機能します。

怒りが共通の話題になると、

「みんな同じ気持ちだ」
という安心感と一体感を得られるため、
人はますますその怒りにのめり込みやすくなります。


③ 「叩くこと」が娯楽化している

メディアやSNSでは、不倫スキャンダルが「ドラマ」や「ゲーム」のように消費されます。
誰が悪役か、誰が被害者か、謝罪は本心か――
観察・評価・批判がエンタメのように行われる。

つまり、「怒る」ことそのものが娯楽の一部になっているのです。
怒りながら楽しむ、という矛盾した心理がSNS上ではごく自然に起こっています。


④ 「攻撃しても反撃されない」安全な快感

SNSで有名人を批判するのは、ほとんどの場合ノーリスクです。
相手が反論してくることはまずない。
だからこそ、「安全に怒りを表現できる快感」があります。

これを心理学では 「無害な攻撃衝動のはけ口」 と呼びます。
普段抑圧しているストレスや不満を、
スキャンダルへの怒りとして正当化して発散できるのです。


⑤ “怒り”が癖になる脳のメカニズム

神経科学的に言うと、怒りを表現すると脳内でドーパミンが分泌されます。
これは「報酬系ホルモン」で、快感や達成感をもたらします。

つまり、

「怒る → スッキリする → もっと怒りたい」
という報酬サイクルが生まれ、怒りが“中毒化”するのです。

SNSで炎上が繰り返される背景には、この心理的報酬ループが強く関わっています。

まとめ

現象心理的メカニズム快感の理由
不倫を叩く道徳的優越感自分は「正しい側」だと感じられる
怒りの共有集団同調一体感と安心感を得られる
炎上の追跡娯楽化ドラマ的に楽しめる
匿名批判無害な攻撃ストレス発散になる
怒りの継続報酬系の刺激ドーパミンで“快感”が強化される

有名人の不倫を叩くことは、
単なる「道徳的批判」ではなく、
社会的ストレスのガス抜き装置として機能しているとも言えます。

昔は有名人にはプライベートはなく、それは「有名税」と呼ばれたこともありました。

今はさらにSNSによってプライベートとの境界線がわかりにくくなっているのかも知れませんね。

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