養育費の不払いがとてつもなく多いことが社会問題になっているという話を前回書きました。
先進国の中でも母子家庭の貧困率が高いことなど、養育費の不払いが放置されていることも要因になっていると考えられ、やっと政治も養育費の不払いに対して動きを見せる政党も出てきました。
立憲民主党が2024年に養育費の立替と取立に関する法案を提出しています。
この法案が審議入りして成立すれば、それは助かる人たちも増えると思うので良いことなのですが、十分とは言えないと感じています。
何が不十分だと言うと、そもそも養育費を払うのが親の責任だから、払うのが当たり前という考え方が前提にあるからです。

え????
それは当然であたり前の考え方じゃないの?

そうよ、親なんだから
とまあ、普通に考えればそうなのです。
ですが、考えてみてください。
その当たり前が当たり前のこととして認識されているのならば、なぜ8割もの人が養育費を払わないのでしょうか。

それは・・・

色々事情があるんでしょ
そうでしょう、そうでしょう
事情があるのでしょう
ということは、これからもほとんどの人が様々な事情によって養育費を払わないことを前提として考えなければならないのではないでしょうか。
それはつまり、親の責任というものはほとんどあてにならないということなのです。
では、どうしたら良いのか考えてみましょう。
親の責任よりも義務を重視する
日本では、離婚するときに養育費の取り決めを公的文書で交わす割合は低く、公正証書を作成しているケースでも強制的に財産を差し押さえたりするための手続きが煩雑で不払いでもそこまで至らないケースも少なくないようです。
まず公的文書を作成しないこともそうですが、離婚するときの約束が守られると考えている人がいまだに少なくないことが問題だと思います。
たとえ血のつながっている親でも、一緒に暮らしていない子供に対して愛情が減っていくのは否めないのではないでしょうか。
もちろん、建前ではそんなことは言わないでしょうが、現実問題として、自分の生活の方が大事になり、離れて暮らしている子供が貧困に苦しんでいても養育費を払うことが惜しくなってしまうのです。
これは私の友人や知人のケースでもよく見られます。
つまり、親の愛情は子供と離れてしまうと消えてしまうこともあるという事実を考えないから養育の不払い問題の根本解決ができないのではないでしょうか。
親が子供を愛する、親だから子供の養育に責任を持つものという性善説のような頼りないものに頼っていることがこの問題が解決しない原因ではないかと思うのです。
まずは愛情とか責任感とかいう目に見えないものに頼る前に、義務としての法整備が必要ではないかと考えます。
税と同じように課すこと
家庭裁判所などで養育費を算出するとき、支払う義務のある側の所得に応じて算出します。
支払い義務があるとしても、生活が破綻するような金額になることはないのです。
しかし、いったん決めた養育費の額も減額や増額の協議をすることも可能ですし、協議で折り合いがつかなければ調停で決めることもあります。
しかしこれも時間と手間がかかりますので、泣き寝入りする人が多いのが実情です。
これはやはり税と同じように子供1人につき最低〇万円とし、所得に応じて加算されるような課税と同じ仕組みが必要ではないかと考えます。
親の責任とか、そんなふわっとしたものに頼らず、義務として徴収して行政が子供に支払うのが一番間違いないです。
不払いがあれば行政が立替をし、滞納の徴収と同様に行えばいい。
もしも最低限の支払いもできないほど義務者の生活が破綻したような場合は、児童扶養手当の拡充など福祉の手当てをする。
このような仕組みがあれば、養育費の不払いによるひとり親家庭の貧困を防げるのではないかと考えます。
ただ、現時点で野党第一党である立憲民主党から出されている十分とは言えない法案ですら審議入りしていないところを見ると、なかなかそこまでの仕組みを作るのは難しいのだと思います。
それはきっと、まだ国会議員の女性割合が低いので、男性目線の考え方が優位だからではと想像しています。
本気でひとり親家庭の貧困問題に取り組むつもりがあるのか、甚だ疑問です。


