「どうしてあんな男といつまでも付き合ってるの?」と友人や家族から言われても、どうしても別れられない・・。
思い切って別れたとしても、またすぐによりを戻してしまう・・・。
こういうことを腐れ縁と呼ぶのでしょうね。
客観的に見れば、別れた方が絶対にその人のためになると思うのに、忠告や助言を聞き入れずに付き合っているような関係です。
このような腐れ縁でも、本人同士がそれで幸せなら別に問題はないのかも知れません。
ですが、共依存であれば何かのきっかけで周囲にも影響が及ぶようなトラブルを引き起こす可能性があります。
共依存は、恋愛関係に限ったことではなく、人間関係全てに関わることです。
ただ、男女間の恋愛関係においての共依存は問題が深刻になる懸念があります。
今回は恋愛における共依存に焦点を当てて考えてみます。
共依存とは
共依存というのは、読んで字のごとく、共に依存し合う関係のことを指しています。
自分の存在価値を、自分以外の人に必要とされなければ確認できないのが、共依存のもっとも大きな特徴です。
たとえば・・
このような考え方をする人は、共依存の可能性があります。
共依存の本質
共依存は、自分自身に焦点が当たっていません。
何かにつけて、自分の価値を判断する基準は他の人から必要とされたり、期待に応えて評価されることばかりに必死になるのです。
役に立ちたい!という気持ちは、すごく素敵なことなのですが、それは誰かを救いたいわけではなく、自分の価値を確認することが目的になります。
そうなると、人間関係は偏り始めます。
自分を犠牲にする
共依存の関係は、モラハラやDVを生みやすいと言われます。
それは自分を犠牲にしても、必要とされているという喜びを感じるからです。
私さえ我慢すれば済むことだから
私がいなければこの人はダメになるのだから
このような気持ちで、自分を犠牲にしがちなのです。
自分を犠牲にしても、その人から必要とされていると感じることで安心してしまうのです。
手を出し過ぎる
迷いながら、悩みながら考えて決断しながら人は成長します。
もしも相手が大人であれば、自分のことは自分で考えて決めなければいけません。
あなたは○○した方がいいわよ
それは○○を選ぶべきでしょう
このように、本来が自分が決めて責任を負うべきことも、手や口を出し過ぎてしまうのが共依存の傾向です。
甘えや責任逃れを招きやすく、その人の自立心を奪って共に依存し合おうとするのです。
自分を追い立てる
誰かの役に立っていないと、自分の存在が全く無意味のように感じてしまうため、いつも誰かのために何かしなければいけないと追い立てられるような日々を送ります。
それがエスカレートして距離を置かれると、相手への執着に移行することもあるのです。
境界線をつくること
お互いにとってプラスになるのなら、それは腐れ縁ではありませんよね。
腐れ縁だと自覚しつつも、離れられない関係であれば、共依存の可能性を考えてみましょう。
共依存は、一人の人間として個をしっかり尊重することで、踏み込み過ぎたり、世話を焼き過ぎることを防ぐことができます。
断っても踏み込む人、断られても踏み込みたがる人とは境界線を張りましょう。
曖昧にしてしまうと、どんどん垣根がなくなります。
お互いに踏み込まれない領域を持ちつつ付き合える関係であれば、共依存の闇に踏み込まずにう済むのです。
まとめ
共依存というのは、自分に自信を持てない人が陥りやすいのです。
育った環境が原因になることもあるので、根深いものがあります。
時間をかけて自分の存在価値を他人の評価で確認するのではなく、自分自身に焦点をあてられるようになる必要があるのです。